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最高裁判所第一小法廷 昭和60年(オ)728号 判決 1989年9月07日

上告人・附帯被上告人

新居正美

右訴訟代理人弁護士

西岡芳樹

岩永惠子

上條貞夫

前田茂

塚原英治

須藤正樹

被上告人・附帯上告人

ゼ・ホンコン・エンド・シャンハイ・バンキング・コルポレーション

日本における代表者

パトリック・マロウ・ウィルソン

右訴訟代理人弁護士

岡本秀夫

主文

原判決中上告人・附帯被上告人の敗訴部分を破棄する。

右部分につき、被上告人・附帯上告人の控訴を棄却する。

本件附帯上告を棄却する。

原審及び当審の訴訟費用は被上告人・附帯上告人の負担とする。

理由

上告代理人西岡芳樹の上告理由一について

一原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人・附帯上告人(以下「被上告人」という。)は、香港に本店を置くいわゆる在日外国銀行であり、東京、大阪等に営業所(支店)を有している。上告人・附帯被上告人(以下「上告人」という。)は、昭和五二年六月一六日から訴外関西明装株式会社の従業員として被上告人大阪支店に出向し、メッセンジャーとして勤務していたが、昭和五三年一二月七日被上告人との間に臨時従業員雇用契約を締結して被上告人の従業員となり、その際、勤続年数としては、右昭和五二年六月一六日から被上告人に勤務していたものとしての取扱いを受けるものとされた。

2  上告人は、昭和五三年、被上告人の従業員を主な構成員とする外国銀行外国商社労働組合大阪支部第二分会(以下「外銀労」という。)に加入し、その組合員となった。被上告人の日本国内の支店には外銀労のほかに香港上海銀行国内支店従業員組合(以下「従業員組合」という。)が存する。

3  前記臨時従業員雇用契約においては、上告人の労働条件について、(1) 上告人は被上告人の就業規則のうち疾病に関する項目を除く部分の準用を受けるとともに、賃金等については、被上告人と外銀労との間で締結されその支給時において効力を有する諸協定の準用を受ける、(2) 上告人の雇用期間は昭和五四年六月三〇日までとし、昭和五八年六月三〇日までの間は一年ごとに雇用契約を更新することができる、(3) 退職金は、昭和五五年六月三〇日に退職(事務行員の場合の定年退職に相当)したものとみなして同日支払う、との約定がされていた。上告人は、昭和五四年七月一日以降も一年ごとの契約更新により昭和五八年六月三〇日まで勤務した。

4  被上告人の就業規則には、退職金に関し、「支給時の退職金協定による。」と規定されている。そして、被上告人と従業員組合との間で昭和五〇年六月二六日に退職一時金及び退職年金の支給に関する退職金協定が締結されたが、それによれば、(1) 退職者には勤続年数に応じて、退職時における弁済額を除く基本給月額に一定の乗率を乗じた金額の退職一時金を支給する、(2) 二九歳以後に入行した者が定年で退職する場合には、退職時の基本給月額の二倍の額に勤務年数の三〇に対する割合を乗じた金額の退職年金を一〇年間支給する、(3) 退職年金受給資格者が退職時に年金総額を一時金として受領することを希望する場合には、一定の乗率で換算した額の退職年金一時払金を支給する、旨が定められており、また、協定の有効期間については、昭和五〇年一二月三一日まで有効とし、期間満了の六か月以前にいずれか一方の当事者から改定の要求がなければ、その後一年間自動的に更新されると定められていた。その後、被上告人と外銀労との間で昭和五〇年七月二九日に右と同一内容の退職金協定(以下「本件退職金協定」という。)が締結され、被上告人は、昭和五〇年一〇月九日付けで、従業員組合との間で締結された右退職金協定に係る協定書の写しを添付した就業規則変更届を大阪中央労働基準監督署長に届け出た。

5  被上告人大阪支店においては、被上告人と各労働組合との間でほとんど毎年のように全従業員につき画一的・統一的に賃金を改定し、退職金協定についても一年の有効期間を定めてこれを更新し又は改定するのを例としていた。被上告人は、昭和五二年中外銀労及び従業員組合に対し、退職金協定について、今後各年の定期昇給分は全額退職金額に反映させるが、ベースアップ分については、その一部だけが退職金額に反映するように内容を改めたい旨の提案を行い、一年ごとに更新されてきた本件退職金協定及び従業員組合との間の前記退職金協定は昭和五三年一二月三一日限り失効した。

6  被上告人は従業員組合との間で、昭和五五年一〇月一六日、賃金協定による基本給月額の代わりに、それより低額の別に定められた第二基本給月額を退職金計算の基礎とすることとして、昭和五四年度退職金協定を締結し、また、昭和五九年七月二五日、同じく第二基本給月額を退職金計算の基礎とすることとして、昭和五五年度及び同五六年度の各退職金協定を締結した。被上告人は、昭和五九年八月二一日、右昭和五五年度及び同五六年度の各退職金協定に係る協定書の写しを添付した各就業規則変更届を大阪中央労働基準監督署長に届け出た。被上告人と外銀労との間では、昭和五四年度ないし同五六年度の各退職金協定は締結されていない。

7  被上告人大阪支店においては、古くから非組合員に対しても従業員組合との間で締結された賃金協定、退職金協定が適用されてきたので、前記昭和五五年六月三〇日及び同五九年七月二五日のいずれの時点においても、非組合員も含めて従業員組合との間の退職金協定の適用を受ける常時使用される同種労働者数は、同支店の一般従業員総数の四分の三に達していた。

8  第一審判決は、本件退職金協定に定められた支給基準により計算される退職金額七六万四三〇〇円の支払を求める上告人の請求の全部を認容し、上告人は、昭和五八年四月一二日、第一審判決の仮執行宣言に基づく強制執行により遅延損害金一〇万六三七三円を含む合計八七万〇六七三円の支払を受けた。

二以上の事実関係のもとに、原審は、(1) 昭和五五年六月三〇日付退職者である上告人には、昭和五三年一二月三一日失効した本件退職金協定の適用はない、(2) 当該事業場の一般従業員の四分の一に満たない労働者が別に労働組合を結成している場合であっても、右少数組合が締結した労働協約が失効し新たな協約を締結するに至っていないときには、労働組合法一七条による労働協約の一般的拘束力は右少数組合に所属する労働者にも及ぶものと解するのが相当であるところ、被上告人大阪支店においては、上告人の退職日である昭和五五年六月三〇日及び従業員組合との間で昭和五五年度退職金協定が締結された同五九年七月二五日のいずれの時点においても、従業員組合との間の退職金協定の適用を受ける常時使用される同種労働者数は一般従業員総数の四分の三に達していたから、労働組合法一七条により、外銀労の組合員である上告人に対しても、従業員組合との間で締結された昭和五五年度退職金協定が遡及適用されるものと解するのが相当である、(3) 従業員組合との間の右昭和五五年度退職金協定に基づき上告人の退職一時金及び退職年金一時払金を計算すると、その合計額は七三万九五〇〇円となる、として、上告人の本件退職金請求のうち同金額及びこれに対する遅延損害金の請求部分のみを認容し、その余の請求を棄却すべきものとし、また、上告人が強制執行により支払を受けた金額から右認容額を控除した差額二万八二五一円は過剰給付として被上告人に返還すべきであるとして、被上告人の民訴法一九八条二項に基づく申立てのうち、同金額及びこれに対する遅延損害金の支払を求める部分を認容した。

三しかし、原審の右判断は、是認することができない。その理由は以下のとおりである。

上告人と被上告人との間の労働契約においては、被上告人は上告人に対しその退職日とされる昭和五五年六月三〇日に退職金を支払うとの約定がされ、一方、被上告人の就業規則には、退職金は「支給時の退職金協定による。」と定められているところ、右上告人の退職日の時点では、上告人の属する外銀労と被上告人との間で締結された本件退職金協定はすでに失効しており、これに代わる退職金協定は締結されていないので、上告人の退職金額の決定についてよるべき退職金協定は存在しないこととなる。しかしながら、右労働契約上は、退職時に退職金の額が確定することが予定されているものというべきであり、右就業規則の規定も、被上告人が従業員に対し退職金の支払義務を負うことを前提として、もっぱらその額の算定を退職金協定に基づいて行おうとする趣旨のものであると解されるから、外銀労との間で新たな退職金協定が締結されていないからといって、上告人について退職時にその退職金額が確定せず、したがって具体的な退職金請求権も発生しないと解するのは相当でなく、労働契約、就業規則等の合理的な解釈により退職時においてその額が確定されるべきものといわなければならない。

ところで、被上告人は、昭和五〇年一〇月九日付で、労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの)八九条一項に基づき、従業員組合との間で昭和五〇年六月二六日締結した前記退職金協定に係る協定書の写しを添付した就業規則変更届を所轄労働基準監督署長に届け出ており、したがって、右退職金協定に定められた退職金の支給基準は、就業規則に取り入れられて就業規則の一部となったものというべきである。そして、就業規則は、労働条件を統一的・画一的に定めるものとして、本来有効期間の定めのないものであり、労働協約が失効して空白となる労働契約の内容を補充する機能も有すべきものであることを考慮すれば、就業規則に取り入れられこれと一体となっている右退職金協定の支給基準は、右退職金協定が有効期間の満了により失効しても、当然には効力を失わず、退職金額の決定についてよるべき退職金協定のない労働者については、右の支給基準により退職金額が決定されるべきものと解するのが相当である。そうすると、従業員組合との間の右退職金協定は昭和五三年一二月三一日に失効したが、それに伴い就業規則が変更された事実は認められないから、上告人については、右就業規則所定の退職金の支給基準(本件退職金協定に定められた退職金の支給基準と同一である。)の適用があるというべきである。

被上告人は、原審において、労働組合法一七条により、昭和五九年七月二五日従業員組合との間で締結された昭和五五年度退職金協定が外銀労の組合員たる上告人にも遡及的に拡張適用されるべきであると主張しているが、既に発生した具体的権利としての退職金請求権を事後に締結された労働協約の遡及適用により処分、変更することは許されないというべきであるから、右拡張適用の有無について判断するまでもなく、右主張は理由がないといわなければならない。なお、被上告人は、従業員組合との間で締結した前記昭和五五年度及び同五六年度の各退職金協定に基づき就業規則の変更を行い、昭和五九年八月二一日各協定書の写しを添付した各就業規則変更届を所轄労働基準監督署長に届け出ているが、右就業規則の変更についても、同様の理由により遡及効を認めることはできない。

四そうすると、原審が、上告人について、昭和五〇年一〇月九日付で届け出られた前記就業規則所定の退職金の支給基準を適用せず、従業員組合との間で締結された昭和五五年度退職金協定が遡及的に拡張適用されるとし、同退職金協定に基づき退職金額を確定すべきものとしたのは、労働契約及び就業規則の解釈、適用を誤った違法があるものといわなければならず、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点をいう論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、原審の確定した事実関係のもとにおいては、上告人の本件退職金請求はすべて理由があるから、これを認容した第一審判決は結論において正当であり、右判決に対する被上告人の控訴は理由がないので棄却すべきである。なお、原審における被上告人の民訴法一九八条二項に基づく申立ては、本案判決の変更されないことを解除条件とするものというべきであるから、右控訴を棄却する以上判断を必要としないものである(最高裁昭和五一年(オ)第一九号、第二〇号同年一一月二五日第一小法廷判決・民集三〇巻一〇号九九九頁参照)。

附帯上告代理人岡本秀夫の上告理由について

被上告人が上告人に提示したと主張する金額は上告人に支払われるべき前記退職金額に満たないから、被上告人が右主張金額の提供をしたとしても債務の本旨に従った弁済の提供ということはできず、上告人に受領遅滞の責任があるとする被上告人の主張は理由がない。この点に関する原審の判断は、結論において正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤哲郎 裁判官角田禮次郎 裁判官大内恒夫 裁判官四ッ谷巖 裁判官大堀誠一)

上告代理人西岡芳樹の上告理由

一 原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈の誤りがある。

(一) 即ち、原判決は本件事案に労組法第一七条を適用ありとし、上告人に対して労働協約の拡張適用を認めて、第一審判決を破棄した。

然しながら、労組法一七条の立法趣旨については必ずしも定説をみないが、目的として、工場、事業場における優越的労働組合によって形成された協約規範の確保が、そしてひいては優越的団結体の団結権保障があげられ、労働協約の適用を受けない少数労働者が協約関係者より低い労働条件、とりわけ賃金で雇傭されるならば、当該事業場における労働条件、労働者の処遇、地位についての最低条件を定めた労働協約の果たす機能が制限されざるを得ないことになり、少数の低労働条件労働者の存在が、多数労働者を擁する組合が確保した労働条件基準を引き下げる効果をもたらすことから、協約当事者たる組合、及びその組合員全体の立場を守ることが挙げられる。又、それに加えて少数労働者の保護という目的を挙げる考え方もある。

何れにしても、同一事業所の中の少数者の劣悪な労働条件を引き上げることによって多数の団結権も保障し、同時に少数者の待遇も改善されるということである。

(二) そこで第一に、労組法一七条は、当該一の労働協約適用を受けるに至った以外の労働者が未組織労働者である場合に適用されるものであり、右少数労働者が他の組合の組合員であった場合には、右組合の団結権、団体交渉権等を尊重する必要があるため適用がないものと解するのが相当である。(同旨、昭和五四・五・一七大阪地判、判例時報九三九号一一九頁)

ところが、本件の場合は、被上告人の事業所に従業員組合と、上告人の所属する外国銀行外国商社労働組合(外銀労)との二組合が併存しており、少数組合とはいえ独立の組合である外銀労が、退職金につき独自の要求を出し、団体交渉を行なっていたのであるから、まさに、従業員組合の労働協約を外銀労の組合員である上告人に押しつけ、適用することは、外銀労の団体交渉権を奪い、ひいては団結権を否認することに他ならない。

従って、労組法第一七条を本件に適用できると解した原判決は労組法第一七条の解釈を誤っていると言わざるを得ず、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。(なお同旨、神戸地判昭和五一・九・六、判例時報八四七号九二頁、大阪高判昭和五五・四・二四、労働関係民事判例集三一巻二号五二四頁)

(三) 第二に、本件の場合、上告人に拡張して適用された被上告人と従業員組合との労働協約(昭和五五年度退職金協定)は、昭和五九年七月二五日に締結されたものである。即ち、遡及的拡張的に適用されている。然しながら、労組法第一七条は「一の労働協約の適用を受けるに至ったときは……同種の労働者に関しても当該労働協約が適用されるものとする。」と規定され、労働協約の存在と四分の三以上の適用の事実の同時存在を前提としている。協約があって、その協約が四分の三以上に適用されている事実があって、始めて残りの四分の一以下の労働者に拡張適用できるのである。ところが、上告人の退職金請求権の発生時、即ち昭和五五年六月三〇日時点には拡張適用されるべき協約が存在せず、協約が成立した昭和五九年七月二五日には上告人は既に被上告人の従業員ではなかったという、すれ違いの状態では労組法第一七条をどのように解釈しようと拡張適用は不可能であり、原判決は労組法第一七条の解釈を誤ったと言わざるを得ない。

(四) 次に労組法第一七条のいう「一の労働協約の適用を受ける」とは、一の労働協約を前提にして事実上協約内容と一致した労働条件が、協約外部者についても行なわれている場合は含まないと解すべきである。本条の制度によって協約というかたちで結実した団結権の保障が図られており、具体的には、事業場内において一定の地位を占めた団結体を捉えて、その担い手とすることを法が明らかにしていると解されること、又、拡張適用されるのは必ずしも労働条件部分という意味での、いわゆる規範的部分に限定されないことなどから、一の労働協約に拘束されるという意味である。

ところが、原判決は事実上協約内容と一致した労働条件が行なわれている非組合員(非組合員は何ら拘束は受けない)も含めて、四分の三以上あるから拡張適用が可能であるとしている。これも明らかに労組法一七条の解釈を誤ったものと言うべきである。

(五) なお、労組法一七条の解釈として、少数組合に拡張適用があるという考え方もあるが、その場合でも、少数組合の既有の権益を侵害する場合は適用することができないとするのが通常である。(同旨、福井地判昭和四六・三・二六、労民二二―三五五、大阪地判昭和四九・三・六、判例時報七四五号九七頁)

上告人は原審での主張通り、昭和五三年一二月まで有効であった、退職金協定の内容がそのまま労働契約の内容として残り、或いは就業規則として届出られた内容が、変更手続きを経ないまま生き続けることにより、第一審判決の通りの退職金請求権を昭和五五年六月三〇日に取得したのであり、その既有権益を後日成立した退職金協定の拡張適用によって奪うことができると解した原判決は、百歩譲って少数組合に拡張適用ありとする立場からも、労組法第一七条の解釈を誤ったと言うより他はない。

(三)、(四)、(五)の原判決の労組法第一七条の解釈の誤りは、何れも判決に直結する法令の解釈の誤りであり、破棄を免れない。

二 原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。

(一) 即ち、原判決は「控訴人大阪支店においては、古くから非組合員に対しても従業員組合との間で締結された賃金協定、退職金協定が適用されてきたので」と認定している。

然し、被上告人の事業所においては、従業員組合との間の賃金協定、退職金協定をそのまま、就業規則の変更として労働基準監督署に届出ており、それ故に、就業規則(甲第四号証)の給与の項に「支給時の賃金協定に従う」、退職金の項に「支給時の退職金協定による」と規定され、この規定と届出た協定により、労基法八九条の要件を充たしているのである。そして、この変更された就業規則を根拠として、被上告人は非組合員に対して、賃金や退職金を支払っているのであって、偶々内容は同じであるが、非組合員に対する適用は従業員組合の退職金協定の直接適用或いは準用ではない。

従って、原判決は従業員組合員と非組合員を含めて、労働協約の適用のあるものを四分の三以上と認定しているが、これは明らかな事実誤認であり、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄されるべきである。

(二) 又、原判決は「前記のように、使用者と労働組合とがほとんど毎年全従業員につき画一的統一的に賃金を改定し、退職金についても短期一年の有効期間を定めてこれを更新し又は改定し、その度毎に就業規則を変更して所轄労働基準監督署に届出するのを常態としていた本件の過去における労使関係に鑑みると、失効した過去の労働協約が当然に労働契約の内容となるものとは容易に解し難いのみでなく」とその理由中で判断しているが、その意味が不明である。のみならず、上告人が退職金請求権を取得する昭和五五年六月三〇日迄の退職金についての労使関係は、原判決が認定するものと全く異なり、原判決の事実誤認である。

即ち、昭和五〇年六月二六日、従業員組合と、同年七月二九日、外銀労と締結された退職金協定(甲第二号証、同第一二号証の二)は、同年九月三日頃、就業規則の変更として労働基準監督署に届出られ、以後昭和五三年一二月三一日迄、更新により労働協約としての効力を有したが、就業規則として毎年更新毎に届出られることはなく、就業規則の改定として届出られたのは当初届出のあった昭和五〇年九月三日から、実に九年を経過した同五九年八月二一日であって、原判決のいうように更新の都度就業規則として届出ていた訳では決してない。

原判決は昭和五四年協定が成立した、昭和五五年一〇月以降のことを指摘しているかもしれないが、それは既に発生している上告人の請求権に影響を及ぼす筈はなく、又、昭和五五年一〇月に成立した昭和五四年度退職金協定は、就業規則の変更として届出られていないことを想起すると、何を以って「常態としていた」と認定したのか全く分からない。又、賃金についても触れているが、毎年全従業員につき画一的統一的に賃金を改定し、就業規則の変更として届出るのは日本における殆どの企業がそうであって、本件に特段固有の状態ではなく、殊更、労働協約が労働契約の内容とならない理由になるとは言えない。

要するに、原判決は「退職金について、短期一年の有効期間を定めてこれを更新し又は改定し、その度毎に就業規則を変更して所轄労働基準監督署に届出するのを常態としていた」と認定したが、それは全くありもしない事実認定であって、このことが直ちに「労働協約が当然に労働契約の内容となるものとは容易に解し難い」、或いは「労組法第一七条に定める一般的拘束力に優先する効力を有するものとは到底解することができない」という結論を導き出しているのであるから、判決に影響を及ぼすことは明らかであって、原判決は破棄されるべきである。

三 原判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について、理由に齟齬がある。

即ち、原判決は退職金協定の遡及適用について、「控訴人と従業員組合との間では勿論のこと、控訴人と外銀労との間においても、従来各年度の賃金、ボーナス協定においてほとんど常に遡及適用をしており、被控訴人の賃金については昭和五八年度まで遡及適用していたことが明らかである」から、可能であると判断している。然しながら、賃金、ボーナス協定は当事者が遡及適用することを同意している場合であって、本件の退職金協定のように当事者或いは所属組合が遡及適用に同意していない場合とは、ケースは全く異なるのである。

同意すれば遡及適用されるのは当然のことであり、そのことは同意のない退職金協定の遡及適用の理由となりうるものではなく、理由にならないことを理由とした齟齬がある。

そしてこのことは重要事項で、判決に影響を及ぼすことが明らかであって、原判決は破棄されるべきである。

附帯上告代理人岡本秀夫の上告理由

原判決は、附帯上告人(以下、被上告人と表示する)に対する退職金七三万九五〇〇円について、昭和五五年七月一日から昭和五八年四月一二日まで年五分の割合による遅延損害金の支払を命じ、又、被上告人の上告人に対する民訴第一九八条二項に基づく損害賠償申立について、その一部より認容していない。

然しながら、右に至る原判決理由は、経験法則に違反し、又、理由不備、理由齟齬及び審理不尽の違法があり、更に、民法四九三条の解釈適用を誤り同条に違反し、かつ、民事訴訟法八九条、九〇条にも違反している。

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな経験法則の違反がある。

1 原判決は、被上告人は、昭和五五年六月二七日、同年一二月三一日、同五六年四月一〇日の三回にわたり主張の金額を提示し、受領方を告知し、支払準備を完了して弁済の提供をしたのに、上告人はこれを受領しなかったから、受領遅滞の責任があると主張する。しかし、上告人の退職金は、前記のとおり七三万九五〇〇円であって、被上告人の提示した金額はいずれもこれに満たなかったから、債務の本旨に従った弁済の提供ではなく、上告人に受領遅滞の責任はないというべきであると判示している。

2 ところで、上告人に対する右の退職金七三万九五〇〇円は、被上告人大阪支店にある二つの労働組合のうち多数組合である従業員組合と、被上告人との間で、昭和五九年七月二五日に締結した昭和五五年度退職金協定を、労働組合法一七条に基いて上告人に拡張適用し、同協定により上告人が退職したと見做される昭和五五年六月三〇日現在の上告人の退職金を算出した結果であるが、然しながら、被上告人が上告人に主張の退職金の弁済の提供をした昭和五五年六月二八日、同年一二月三一日、同五六年四月一日には、その何れの時点においても、被上告人と従業員組合との間で締結される昭和五五年度退職金協定が、いつ締結され、その協定の内容がどのようなものであり、更に、同協定に基づく上告人の退職金が七三万九五〇〇円になるということは、いかなる者にとっても予測することのできないものであり、かつ、昭和五九年七月二五日に締結された右の昭和五五年度退職金協定に基いて計算される上告人の退職金七三万九五〇〇円を、右の各日時に、上告人に提示し、弁済の提供をすることは、時間的にも、論理的にも不可能なことは明らかである。

3 そうすると、原判決の、被上告人が上告人に右各日時に提示し、弁済の提供をした退職金が七三万九五〇〇円に満たなかったから、債務の本旨に従った弁済の提供でなく、上告人に受領遅滞の責任はないと判示した理由は、明らかに常識に反し、論理のつじつまの合わない事実認定であり、法律判断であって、判決に影響を及ぼすこと明らかな経験法則の違反があるものである。

第二点 原判決には民事訴訟法三九五条一項六号に該当する理由不備及び理由齟齬の違反があり、又、審理不尽の違法がある。

1 原判決は、昭和五五年六月三〇日付退職者である上告人に対しては、昭和五三年一二月三一日失効した本件協定は適用がなく、労働組合法一七条により被上告人と従業員組合との間で締結された昭和五五年度退職金協定が適用されるものと認めるのが相当であるとして、同協定により上告人の退職金を七三万九五〇〇円と計算し、被上告人がこの額の退職金を上告人に提示しなかったから債務の本旨に従った弁済の提供ではないと判示している。

2 然しながら、第一点で示したように、原判決の右の理由は常識に反し、論理のつじつまの合わない理由であるうえに、被上告人と外銀労との退職金協定が昭和五三年一二月三一日に失効し、その後の退職金協定の締結が団体交渉を開いたものの締結に至らず、結局、上告人が退職したと見做される昭和五五年六月三〇日に上告人に適用される退職金協定が存在しない本件においては、当然のことであるが、先ず、右の昭和五五年六月三〇日時点において上告人に対し、いくらの額の退職金を支払えば足りるのかを判断し、そのうえで、債務の本旨に従った弁済の提供があったか否かを判断すべきものである。

3 原判決は既述の如く、被上告人が第一回の弁済の提供をした日時より四年余りも後である昭和五九年七月二五日に被上告人と従業員組合との間で、締結された昭和五五年度退職金協定に基く上告人の退職金七三万九五〇〇円の提示のなかったことをもって、債務の本旨に従った弁済の提供でないと理由づけているもので、昭和五五年六月三〇日時点において上告人に対し、いくらの退職金を支払えば足りるのかの判断を欠き、判断の順序を無視し、論理的にも飛躍した理由づけをしているもので、原判決には、理由不備及び理由齟齬の違法があり、又、審理不尽の違法がある。

第三点 原判決は、民法四九三条の解釈及び適用を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな同条項の違反がある。

1 原判決も判示しているとおり、被上告人大阪支店においては、以前から被上告人と労働組合との間でほとんど毎年のように全従業員につき画一的統一的に賃金を(賃金協定により)改定し、退職金についても僅か一年の有効期間を(退職金協定により)定めてこれを更新し又は改訂してきたものである。これは被上告人の就業規則に、賃金については支給時の賃金協定に従うと、又、退職金については支給時の退職金協定によると定められているためである。なお、上告人は臨時従業員で、その雇用契約でも、その支給時に効力を有する諸協定の準用に基いて退職金を受けることになっている。

上告人は、被上告人にある二つの労働組合のうちの少数組合である外銀労に加入していたが、被上告人と外銀労との間の退職金協定は昭和五三年一二月三一日に失効し、その後の両者間の団体交渉に拘らず、外銀労との昭和五四年度以降の退職金協定は締結されず、上告人が退職したと見做される昭和五五年六月三〇日に上告人に適用される外銀労との昭和五五年度退職金協定は存在せず、新たな退職金協定のための団体交渉が持たれていた。又、従業員組合との間では、昭和五五年六月三〇日当時には昭和五四年度退職金協定のための団体交渉中であって、同年一〇月一六日に昭和五四年度退職金協定が締結されている。

なお、被上告人においては、賃金協定が失効した場合には、以前から、次の賃金協定が締結される迄の間、賃金協定が失効した時に支給されていた賃金が引続いて従業員に仮払いされ、新たな賃金協定が締結されたときに清算される慣行が確立していた。又、退職金協定が失効している間の退職者に対しては、当然のことであるが、既に失効した退職金協定がその後も有効であるとして退職金を支給することはしておらず、退職金協定が失効した時の年度の賃金協定又は退職金協定のB表を用いて退職金を仮払いし、新たな退職金協定が締結された時に順次清算が行われてきていた。尤も、昭和五四年一月一日以降の外銀労に属する退職者は上告人のみである。

右のような労使関係下において、被上告人が上告人に提示し、弁済の提供をした仮払いの上告人の退職金は、被上告人主張のとおり、昭和五五年六月二八日において六八万七五〇〇円、同一二月三一日において六九万二四〇〇円、同五六年四月一〇日において六九万四九〇〇円で、外銀労との昭和五五年度退職金協定が締結されたときに清算されることが前提である。

2 退職金は支給時の退職金協定によると就業規則に定められ、退職金協定が失効しても以降の退職金協定の締結が予定されている被上告人において、退職金協定が失効している間に退職した上告人が、既に失効した退職金協定に基いて退職金を請求できないことは、同協定に有効期間の定めがあることからも当然のことである。

労働協約失効後の個々の労働者の労働条件について、いわゆる制限的余後効論の立場に立ち、これを広く認めるとしても、上告人に対する退職金の計算基礎となるのは、昭和五三年度賃金協定に基く上告人の基本給月額であって、本件退職金協定のみが、昭和五三年度賃金協定と離れて一人歩きをすることはありえないものである。

労働協約失効後の個々の労働者の労働条件がいかになるかについての諸見解は、結局は、労働関係及び労働協約の特質を考慮しつつ、当事者の意思その他の諸事情を合理的に解釈し、協約失効後はどのような基準によって個々の労働者の労働条件を定めるべきかに帰するが、この点については明文の規定がなく、解釈によるものであるから、その解釈及び判断は客観的かつ合理的なものでなくてはならない。

協定失効後にその協約のいかなる部分が個々の労働者の労働契約の内容となるかを論ずる場合に、右の立場に立つとしても、個々の労働者の労働契約の内容となるのは、その協定が失効した時点で現実にその協定によって労使間で展開されていた内容の労働条件である。ところで、本件退職金協定は賃金協定の基本給月額をもって退職金を計算することになっているが、有効期間中の当該年度の退職金協定はその年度の有効な賃金協定と一体となっており、本件退職金協定の内容からも、同協定での基本給月額は、同協定の有効期間中における賃金協定による基本給月額であって、本件退職金協定が失効した時点において展開されていた上告人の退職金に関する労働条件は、本件退職金協定と昭和五三年度賃金協定とを連結した退職金の支給である。即ち、この場合、本件退職金協定失効後の賃金協定を用いる余地はない。

又、労働協約失効後の個々の労働者の労働条件がいかになるかの解釈に当っては、その解釈による結果が、協約失効後の労使による団体交渉を無意味ならしめ、賃金及び退職金は協定によるとの被上告人の賃金・退職金に関する労使の動的な関係を否定し、これらについての労使の団体交渉を無意味ならしめるものであってはならず、又、上告人と被上告人間の雇用契約や被上告人の就業規則等に反してはならぬことは当然のことである。

上告人の退職金について、上告人主張のように、本件退職金協定失効後の昭和五五年度賃金協定の基本給月額を用いるときは、右の諸点の全てに反する不合理な結果になる。

結局、本件退職金協定が失効しているのに拘らず、上告人に同協定が引続いて有効であるのと同じ権利、即ち、上告人に上告人の昭和五五年退職金協定による基本給月額をもって計算される退職金の請求権を認め、被上告人にその債務を法的に負担させるとの解釈を認めるときは、被上告人の就業規則で退職金は協定によると定めている動的な仕組みを破壊することになり、諸事情の変化による労働条件の変更の必要性と可能性を否定し、新たな協定の締結のための団体交渉を無意味ならしめて団体交渉及び協定締結の機能を奪い、本件退職金協定に期間を定めていることや就業規則及び上告人との雇用契約の明文の定めに反し、労働組合法一五条・労働基準法二条一項の趣旨及び集団的労働関係の我国における構造を否定する結果になるものであって、上告人に昭和五五年度賃金協定による上告人の基本給月額をもってする退職金の請求権を認める解釈はとりえない。

更に、前述の如く、本件退職金協定の明文からも、同協定での基本給月額は、同協定の有効期間中における賃金協定による基本給月額である。

3 民法四九三条は、弁済の提供は債務の本旨に従ってなされることを要すると定めているが、弁済の提供が債務の本旨に従っているか否かは、債権の目的、法律の規定、慣習、信義則、当事者の意思等に従って解釈されなければならないと言われている。

ところで、上告人については、上告人の退職時である昭和五五年六月三〇日時点で退職金支給の基準となる退職金協定がなく、被上告人就業規則の、退職金は協定によるとの規定からも、右退職日に適用される新たな退職金協定の締結が予定されており、当時の被上告人での賃金又は退職金協定失効時の慣習乃至扱いが右1の如くで、同1に記載の労使関係下にあったことからも、協定が失効している間の退職者に対しては、新たな退職金協定締結時に清算することを前提に、退職時点では、仮払いの方法よりとれず、この仮払い、清算の過程を経ることは当然のことである。

更に、右2に記載の諸理由等から、昭和五五年六月三〇日時点で被上告人が提示し、弁済の提供をすべき上告人の退職金は、本件協定の失効した昭和五三年度賃金協定に基く右退職時の上告人の基本給月額を基礎とし、本件退職金協定の乗率等により計算される仮払いの退職金額で足るものである。

従って、上告人が退職したと見做される昭和五五年六月三〇日には、上告人の退職金について仮払いの方法をとるのが、合理的かつ妥当な方法であり、その際に支払う仮払い退職金は、右の計算方法によるのが合理的かつ妥当なものである。

被上告人が上告人に提示し、弁済の提供をした右1記載の各日時における退職金は、何れも、右の計算方法による仮払い退職金額を上廻るもので、債務の本旨に従った退職金額であり、被上告人は債務の本旨に従った退職金額の提示をしたものである。なお、被上告人の提示した仮払い退職金と、上告人の主張する退職金の差額は八万円乃至七万円で、後日に上告人に適用される退職金協定の団体交渉中で、同協定が締結された時に清算されるものであり、又、金銭の可分性からも、上告人は被上告人の提示した仮払い退職金を受領すべきであったもので、これが労使間の信義則に合致するものである。

なお、被上告人大阪支店においては、退職金は退職者が同支店総務係に取りにくるもので、被上告人は上告人に対する退職金の支払の準備を完了して、その受領方を告知したのであるから、弁済の提供があったとみるべきものであり、上告人はこれを受領しなかったもので、民法四九二条から、上告人は受領遅滞の責任を負い、被上告人は履行遅滞の責任を負わないものである。

原判決は、以上からも、民法四九三条の債務の本旨に従いて現実にこれをなすことを要するとの解釈及びその適用を誤り、同条に違反しているもので、この違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第四点 原判決は、民事訴訟法八九条、九〇条の解釈及び適用を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな同条項の違反がある。

本件訴訟は、右第三点に記載のとおり、被上告人が提供し、上告人が受領すべきであった昭和五五年六月三〇日現在での退職金を、上告人が受領しないで、受領遅滞にありながら、訴訟を提起したものであって、民事訴訟法八九条及びその例外である同法九〇条により、訴訟費用の全額を上告人に負担させるべきものであった。

よって、訴訟費用について、その一〇分の九を被上告人の負担とした原判決は、民事訴訟法八九条、九〇条の解釈及び適用を誤り同条に違反しているもので、かつ、この違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

従って、被上告人の上告人に対する退職金七三万九五〇〇円の支払に当っては遅延損害金は発生せず、又、民訴一九八条二項に基き、上告人が被上告人に支払うべき損害賠償金は、一三万一一七三円及びこれに対する昭和五八年四月一三日から完済まで年五分の割合による金員となり、更に、訴訟費用は第一、二審を通じ、上告人の負担となるものである。

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